考えるのさ、貧富の差
どうも、来るもの拒まず去る者は追うタイプです、やずるです。
こちら僕が今住んでいる、サンタクルスの町並み。貧富の差が激しい町。中心地はとっても活気づいている。
さて、つい先日の話。
僕は語学の授業が終わったあとに、カフェにて勉強してた。机に勉強道具を広げてコーヒーを飲みながら意識をスペイン語に傾ける。
この国でのコーヒーってのはなかなかの高級品みたいです。コーヒー豆は生産してるけど、それらはだいたい海外への輸出用。自国内での消費は少ない様子…。んで、やっぱりカフェに入ってコーヒー飲もうとすると、なかなか値が張りますね。カフェ・ラテの大きいサイズなんて頼もうものなら、食堂での1食分くらいかかります(200円くらい)。
そんなわけで、僕はいつもどおりに一番安いドリップコーヒーを頼み、いつもの店の外の席で勉強してた。
明るくて快適。ちょっと暑いけど。まあそりゃ我慢。単語に熟語に文法用語。今日の宿題、明日の予習。
結構集中していたんだと思う。そんなとき意識は外に向かない。だからすぐ隣に誰かが来ているのも、しばらく気付けなかった。
僕のすぐ横に、10歳くらいの男の子が立っていた。こっちを深い黒い瞳で見つめて来る。長いこと洗濯していないTシャツ。汚れた裸足。乱れた髪の毛。白さより黒さが目立つ歯。ボリビアではよく見られる、物乞いの少年だった。
その少年が、「お願いします…」って言って手を差し出して来た。物乞いはこの町にいっぱいいる。今まで旅行した国にもたくさんいたし、いちいち驚くようなことじゃない。全員に同情していたら破産は必至。
だから僕は今まで通り、いつもの通り、「NO」と一言だけ冷たく言った。そしてできるだけ気にしないようにして勉強を再開しようとした。でもその少年の目の中には何かしら切羽詰まるものがあって、思わずその少年の動きを目で追っていた。
僕に断られたあと、その少年は他のカフェの客たちにも同様にお金をねだって、その結果、客たちは一人違わず僕と同じ反応を示した。
一言だけのNO。首を振るだけ。手で払うしぐさ。
やり方は人それぞれ。少年にとってはすべてが同じ。
テラス席にいる客に一通り聞き終えて、収穫が全く得られないことを理解した少年。ふと顔をあげた。僕と目が合った。
その足でそのまま僕のところにやって来て、また同様にねだって来た。
首を振った。でも僕のシャツの肩のあたりを引っ張りながら、執拗に手を差し出してくる。
思わず僕は、「Perdone...(ごめんよ)」って言っていた。少年はそのあと何も言わずに去って行った。
その時何に対して謝ったのか、自分でもよくわからない。
お金をあげないから?
僕がきれいなカフェで快適に勉強しているから?
テーブルの上に電子辞書やデジタルカメラがおいてあるから?
少年が過酷な社会で生きなければならないから?
僕が少年よりも恵まれた環境で苦労せず生きてきてしまったから?
この全部であるような気がするし、どれでもないような気がする。
ここで疑問がひとつ。
ボランティアとして来た我々。もちろんボランティアの目的はボリビアの人たちを手助けするため。
でも現実には、目の前に路上で野良犬みたいに寝ている子供たちがいて、そんな彼らを助けることすらできない。
さて、僕には何ができるんだろう?彼らに片っ端からお金を渡していく?
この答えを見つけるには、まだまだ時間がかかりそうです。
もし何か感じたこと、考えるところがある方は、ぜひコメントをいただけたらと思います。
そんなこんなで、なんか柄にもなくまじめなことを書いてしまったあるトロけそうな暑さの一日でした!
こちら僕が今住んでいる、サンタクルスの町並み。貧富の差が激しい町。中心地はとっても活気づいている。
さて、つい先日の話。
僕は語学の授業が終わったあとに、カフェにて勉強してた。机に勉強道具を広げてコーヒーを飲みながら意識をスペイン語に傾ける。
この国でのコーヒーってのはなかなかの高級品みたいです。コーヒー豆は生産してるけど、それらはだいたい海外への輸出用。自国内での消費は少ない様子…。んで、やっぱりカフェに入ってコーヒー飲もうとすると、なかなか値が張りますね。カフェ・ラテの大きいサイズなんて頼もうものなら、食堂での1食分くらいかかります(200円くらい)。
そんなわけで、僕はいつもどおりに一番安いドリップコーヒーを頼み、いつもの店の外の席で勉強してた。
明るくて快適。ちょっと暑いけど。まあそりゃ我慢。単語に熟語に文法用語。今日の宿題、明日の予習。
結構集中していたんだと思う。そんなとき意識は外に向かない。だからすぐ隣に誰かが来ているのも、しばらく気付けなかった。
僕のすぐ横に、10歳くらいの男の子が立っていた。こっちを深い黒い瞳で見つめて来る。長いこと洗濯していないTシャツ。汚れた裸足。乱れた髪の毛。白さより黒さが目立つ歯。ボリビアではよく見られる、物乞いの少年だった。
その少年が、「お願いします…」って言って手を差し出して来た。物乞いはこの町にいっぱいいる。今まで旅行した国にもたくさんいたし、いちいち驚くようなことじゃない。全員に同情していたら破産は必至。
だから僕は今まで通り、いつもの通り、「NO」と一言だけ冷たく言った。そしてできるだけ気にしないようにして勉強を再開しようとした。でもその少年の目の中には何かしら切羽詰まるものがあって、思わずその少年の動きを目で追っていた。
僕に断られたあと、その少年は他のカフェの客たちにも同様にお金をねだって、その結果、客たちは一人違わず僕と同じ反応を示した。
一言だけのNO。首を振るだけ。手で払うしぐさ。
やり方は人それぞれ。少年にとってはすべてが同じ。
テラス席にいる客に一通り聞き終えて、収穫が全く得られないことを理解した少年。ふと顔をあげた。僕と目が合った。
その足でそのまま僕のところにやって来て、また同様にねだって来た。
首を振った。でも僕のシャツの肩のあたりを引っ張りながら、執拗に手を差し出してくる。
思わず僕は、「Perdone...(ごめんよ)」って言っていた。少年はそのあと何も言わずに去って行った。
その時何に対して謝ったのか、自分でもよくわからない。
お金をあげないから?
僕がきれいなカフェで快適に勉強しているから?
テーブルの上に電子辞書やデジタルカメラがおいてあるから?
少年が過酷な社会で生きなければならないから?
僕が少年よりも恵まれた環境で苦労せず生きてきてしまったから?
この全部であるような気がするし、どれでもないような気がする。
ここで疑問がひとつ。
ボランティアとして来た我々。もちろんボランティアの目的はボリビアの人たちを手助けするため。
でも現実には、目の前に路上で野良犬みたいに寝ている子供たちがいて、そんな彼らを助けることすらできない。
さて、僕には何ができるんだろう?彼らに片っ端からお金を渡していく?
この答えを見つけるには、まだまだ時間がかかりそうです。
もし何か感じたこと、考えるところがある方は、ぜひコメントをいただけたらと思います。
そんなこんなで、なんか柄にもなくまじめなことを書いてしまったあるトロけそうな暑さの一日でした!
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